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4月17日(土)

今年の桜はいつもと違って

天白川沿いもすっかり葉桜。
今年の桜はいつもと違って、多分生まれて初めてのことなのだけれど、きれいだと思った。小さい頃は、田舎育ちであったので、裏山全体が桜で覆われてしまう環境だったにも関わらず、桜なんて他の多くの草花の中の春に咲く花の一つに過ぎず、観光客がぞろぞろ歩くのに脅えていた。お花見などというのも地元では一般的ではなかったと思う。窓を開ければみえるので、わざわざそこに行く必要などなかったのだ。
名古屋に出てきてから、初めてお花見という奇怪な風習を知り、体験もした。肌寒い中酒を飲む。帰りがけにみる、屑篭からはみ出して、さらに屑篭が埋まり込んでしまうほどのゴミの山。桜前線、開花予想なんて言葉は、昔からあったと記憶しているが、こんな毎日のように天気予報の時に、やいのやいの言ってなかったと思う。一大事のようである。今では、東北の方の開花予想は、旅行会社がGW中のお花見旅行の日程を立てるのに必須だそうだ。東北の人は、我が事として聞いているんであろうか。何でも経済である。ふぅーっ。

桜って、淫乱という言葉が思い出された。生殖機能を持たない花を咲かせる木が淫乱というのもおかしな話であるが、ぶわーっと咲いて、花びらを散らして地面を汚す。咲く花よりも後始末をしないあの散り際が嫌いだったのかもしれない。桜に限らず、春先の植物というのはよくよく見ると、なかなか気持ち悪い。冬の間にブツブツに剪定された街路樹から新芽がそれこそ瞬間的に30センチくらいいきなり伸びる。グロテスクな生命力。もし、この時期の植物の心の中を覗いたら、ひたすら、食いてぇー食いてぇー、やりてぇーやりてぇーと聞こえてきそうである。怖い。

今年は、ナビロフトに移ってきて初めての春。毎日桜の木の傍らを見上げながら、つぼみが膨らんでくるのを観察しながら歩いていた。その所為が大きいと思う。お花見情報でもなく、桜前線でもなく、僕の中の桜の開花というものが確かにあった。毎年、お花見の季節にはぼんぼりが商店街によってつるされるのだけれど、今年は、不景気からか、毎年川沿いを汚されるのに業を煮やしてか、暗いまま。花見客も、果敢に暗闇で火を炊くような強者が数グループだけだった。若いカップルが真っ暗な中ぼそぼそとバーベキューをしているのは可哀想というか、笑えるものがあったが。
また、満開の期間が長かった。土日が3回くらいあったのではないかと思う。最後は雨で散らされるということではなく、ごく自然にひっそりと静まっていった。なんか、可憐であった。昔、イケイケだった女の子に、ハッとするようなそぶりを見せられるようなものである。

今日からは、中京大学の劇団「いかづち」の公演。「いかづち」といえば、かの北村氏も在籍し、翔行群の久川君やら、月面コレクションの赤井先生を排出した由緒正しい劇団である。みんな知らないと言ってはりましたが。
女の子の書いた、なかなか素敵なおとぎ話になっていると思います。桜の散ってしまった天白川のほとりで、桜の話。
明日までです。